the pillowsは僕がロックバンドを好きになったきっかけのバンドです。
アコギしか勝たん!だった自分が今じゃエレキギターにどっぷりです。
今日はピロウズ屈指の名作「1989」について思いを馳せたいと思います。
概要
the pillows生誕20周年記念のベストアルバム
「Rock stock & too smoking the pillows」
の一曲目に収録された、このアルバムのために書き下ろされた一曲。
西暦1989年はthe pillowsが結成された年です。
彼らの20年間の生き様、自分たちの音楽に対する想いが詰め込まれた名曲です。
ピロウズって一つのライブステージの中でも曲やタイミングによって
「あ、今本気で歌ってるな」って感じるときがあるのですが(いつも以上にね!笑)
20周年記念の武道館ライブ中盤で演奏されたこの曲は、
彼らの今まで、そしてこれからを示すようなグッドパフォーマンスでした。
涙間違いなしです。
読み方は?
自分もわからなかったんですよね。
歌の発音通り「ナインティーンエイティナインか?」と思ったのですが
正しくは「いちきゅうはちきゅう」です。
ソース:カラオケの検索
解釈
前半
なんとも言えない切ないイントロ後に始まる冒頭部分。
この曲の主人公はthe pillowsそのものであると思われます。
船を漕いで濡れながら
僕はやっと街に来た「1989」 作詞:山中さわお
「街」とはライブステージであったり、自分たちを表現できる場所全般のことでしょう。
音楽業界という荒波に揉まれながら、表現の場にたどり着いたと。
その後の歌詞から、自分達だけの場所ではなく、
あらゆるバンドマンが集まるような場所を指していることがわかります。
僕はずっと孤独だった
会いたかった 誰かに
ハジメマシテ コンニチワ
何がそんなに可笑しいの「1989」 作詞:山中さわお
彼らも最初は新参者でした。
そして彼らははじめ、誰からも見向きもされない存在でした。
会いたかった「誰か」とは、今では彼らが多くの曲で使う「君」という存在。
自分たちの音楽を愛してくれるリスナーのことですね。
認知されず反応もされない、売れない時代のつらさが読み取れます。
挨拶がカタカナなのは、
周りと同じように振る舞っている「つもり」になってるということだと思います。
周りの売れているバンドと同じように曲を作り活動しているつもりなのに
なぜか売れない。聞いてもらえない。なにがおかしい?
さわおさんが番組か何かでpillowsの曲調が独特(褒め言葉として)という話になった際
「自分達としてはポップな音楽を作り続けている」みたいなことを言っていました。
今となってはそれが花開きましたが、当時本当に悩んでいたんだと思います。
売れている人たちやそれを取り巻く人たちは
彼らにはさぞ輝いて見えたことでしょう。
隠し持った贈り物
渡せないで息を吐く「1989」 作詞:山中さわお
「隠し持った贈り物」とは自分たちの音楽のことですね。
人々に向けて生まれた想いも届くことはなかったのです。
サビ
これからも繰り返される、この曲の象徴的な文句。
Please, catch this my song
「1989」 作詞:山中さわお
非常に強い想いが伝わるフレーズです。
「catch」という表現が素晴らしいです。
聞いてくれ、とは少し違うんですね。
受け取ってくれ、見つけ出してくれ、感じてくれ、というようなニュアンスを感じます。
新しい自分を
探しに来たのさ こわいけど「1989」 作詞:山中さわお
「新しい自分」とは
偽りのない本当の自分のことでしょうか。
自分たちの音楽が受け入れられなかったことから
このまま表現し続けてよいのかという迷いもありました。
自分を偽ってでも売れるためだけの音楽を作ったほうがいいのか考え、
本当の自分を見失いかけた時期もありました。
喉が乾くというのは欲求が満たされないことの揶揄。
喉、ということから歌うことにも掛かっているのかな。
伝えたいことを我慢している気持ちでしょうか。
しかし彼らは最終的には死んでも「自分」でいることを決意します。
そしてここから気持ちをピークに高めていく、最後のサビへ入ります。
後半
君に届くように歌っていたのさ 1989
「1989」 作詞:山中さわお
1989とは冒頭でもお話しましたが、the pillows結成の西暦1989年のことですね。
そのときから20年間、当時は姿の見えなかった私たちのような存在のことを夢見て、
彼らは歌い表現し続けていたのです。
最後にボーカルが1オクターブ上がり、
終始抑え気味だった演奏も爆発します。
今になって群れながら
僕はやっとここに来た「1989」 作詞:山中さわお
「今になって」という言い回しが個人的にちょっと深いです。
当時はとにかく売れたくて仕方がなかった。
ですがあまりに売れなかったとき、ふと諦めともいえる境地に達します。
(その曲が代表作「ストレンジカメレオン」)
売れたくて仕方がないという執着を手放したことで、結果として売れることになった。
その流れが「今になって」という表現に含まれているのかなと思います。
当時遠目に眺めることしかできなかった場所、
大勢のリスナーが自分たちの音楽を感じてくれる場所に到達できたわけです。
そして彼は最後に叫びます。
Please, catch this my song.